人はいつか死ぬ、あっという間に簡単に
人は死に向かって生きている。いつか死ぬ。明日かもしれない、明後日かもしれない。
ばーちゃんが死んだ。
ばーちゃんは88歳だった。もうそこまで生きたし日本の女性平均寿命しっかり生きた。そして、おそらく死ぬときは苦しまずに死んだ。
私は死ぬ前日会っていた、喋った。ばーちゃんは数年前から結核や心臓は弱かったけど死ぬ1ヶ月前は普通に草むしりもしていたし、畑の世話をしていた。
その2週間後くらいからだんだんと本格的に弱ってきた気がした。
弱っているというよりは様子が変だった。喋り方も変だし声も違った。
一人で暮らししてたから、人とそんなに話したりしない日もあっただろう。
しんどいからご飯つくる気力も食べたくもなかっただろう。
お母さんが作ってもってきた料理も一口くらいしか食べない。お腹いっぱいだという。
そしてその日私と母がばーちゃんの家に泊まると言った時、ばーちゃんは心底喜んだ声と表情だった、泣きかけな声と喜びの声が混じったようなものだった。
私は今でもそのシーンが忘れられない。その時はそんなことでこんなにも喜んでくれるんやー、って笑いながらお母さんと話してた。
ばーちゃんは、どこも苦しくないと言う。でも話しが終わるとすぐうつ伏せになる、目を瞑る。
今思えばあの時から生と死の境目をぐるぐる回ってたのかもしれない。なんか後々になってそんな気がする。
亡くなる3日前、ばーちゃんをいつもの病院に連れていこうと家に行ったらばーちゃんはまだ何も用意せずに座ってた。なんだかすごくしんどそうだった。
一生懸命服を着替えてたけどそれすらもしんどそうだった。
車に乗せてもいつもおしゃべりなばーちゃんが一言も話さずぐったりしてた。病院に行くと熱があったらしい、そして酸素がしっかりまわってないと。
救急で大きい病院にばーちゃんは運ばれた。
お母さんは救急車に乗って私は自分の車でその病院へ向かった。その時ばーちゃんも心配だったけどお母さんのことも心配になった。救急車に乗る前病院の中をウロウロして落ち着きなかったし、地に足がついてないようなことも言っていた。
その時わたしは泣きそうになった。身内が救急車で運ばれるとなれば誰でもそうなるかもしれないけれど。でも私はしっかりしておかないと。と思い、涙をこらえて病院に向かった。
病院に行ってばーちゃんに会って普通に話した、自分が何でここにいるかあまりわかってなさそうだった。
でも一応安心して次の日、ばーちゃんに荷物を届けるのに会いにきた。
その前にいろんな入院するにあたって必要な着替えなどを買って、服やタオルにばーちゃんの名前を全て書いて持っていった。
病院に着いて病室にいるばーちゃんを見に行ったら一生懸命ご飯を食べていた。
あんだけ食欲なさそうだったのに食べてて、しばらくお母さんと部屋の入り口からこっそり眺めていた。
ばーちゃんは昼食を全部残さず食べた。
点滴のみで前日過ごしてたからお腹がすごく空いていたらしい。美味しいし医者もいい人だと何度も私たちに言った。
わたしが痛いところとかないのかと聞いたらどこもないと応えた。
でも相変わらず会話が終わるとうつ伏せかげんになり目を瞑る、でも寝てない。
話しかけたらまた喋りだす。私達はご飯を全部食べたことに安心し、医者もいい方向にいくだろうと言った。だからまた明後日くるってばーちゃんに言って家へ帰った。
でも次の日ばーちゃんが死んだ。病院から既に呼吸が止まっていると朝連絡があった。止まっているということはもう死んでいるということだ。私には信じられなかった。昨日あんなにご飯ほおばってたのに。
病院に行ったらばーちゃんはもう眠っているようだった。死んでるとかよくわからなかった。
すぐに遺体を取りにくる葬儀屋を頼まなければならなかった。ばーちゃんは箱に入れられた、死んでるのか人形なのかよくわからない。昨日会った人が死んだ、死ぬってなんなのか、わけわからなくなった。
とにかく自然と涙が溢れて止まらなかった。
そして次の次の日にはばーちゃんは骨になった。
ばーちゃんの家に行けばばーちゃんがいるのかもしれない気持ちになるけどもういないんだ。
死んだあとはどうなるのか、どこに行くのだろう。
毎日は思い出さなくなってしまったがふとばーちゃんのことを思ったので書いてみた。
お母さんが時々連絡してくる時は必ずばーちゃんの話をしてくるからだ。
お母さんは今も悲しんでる。親が死んだんだもんね。もうじーちゃんばーちゃん全員の死を見てきた。当たり前に自分もばーちゃんになってから死ぬと思ってしまってるけどそうとは限らないよな。
よく言うけど明日死ぬとしてもやりたいと思えることを今日もしているか、なんて言葉。本とかいろいろなものに書いてあるよね。
私はこのブログを書いていることが今自分には必要なことだと思って書いている。
ただそれだけ、死ぬとか生きるとかわからないけどね。とにかく思うのは後悔しないように生きていこう、楽しく日々過ごしていけたらな、ただそれだけである。
そのために何が必要で何をすべきか、そしてただそれを実行するのみである。